2023学長文学歴史サロン 「天下分け目の地、阪神地域」-平家物語や太平記の記述から-
古代、都がおかれた「畿内」に向かう道には、「関」がおかれ首都防衛のための要所となっていた。「関」のおかれた場所を見ると山や海に挟まれた狭路になっており、広い平地では複数ある道も1カ所に集まってくるような場所が選ばれている。不破関・・・「天下分け目の地」となった関ケ原もそんな地形であった。西国と畿内を結ぶ山陽道が通る阪神地域も六甲の山並みと瀬戸内海が迫る狭路であり、関ケ原と同様に「天下分け目の戦い」が幾たびも繰り広げられました。
そこで、今回の「学長文学歴史サロン」では、平家物語や太平記の記述から「天下分け目の地 阪神地域」 をたどります。
第1回 「天下分け目の地、阪神地域」-平家物語や太平記の記述から-
田辺眞人の文学歴史サロン 動画「神戸かいわい歴史を歩く」 8高取山北峰の鹿松峠 熊谷次郎や足利軍が通った峠道 9尊氏が切腹しかけた松岡城 15摩耶山城と赤松円心 16兵庫の福厳寺と後醍醐天皇
26 湊川の戦いと水戸黄門像 38雪の御所と経が島 39屋島から神戸に戻った平氏の布陣 40神戸に向かう源氏軍の進路 41源平融資の伝説の舞台 42広狭二義の「一ノ谷」
50畿内の西の関門 神戸は西の関ケ原 56福原と兵庫 65平清盛の墓域はどこか 66大輪田泊周辺 67北区にもある清盛伝説 67清盛の墓と舞子の浜 76布引の滝と清盛・重盛
など 関連の記載があります。