田辺眞人の文学歴史サロン
2024第3回学長文学歴史サロン 「元禄文化と阪神地域 序章」
第3回(9月1日)
レクチャー「元禄文化と阪神地域」
学長 田辺眞人
動画リンク⇒文学歴史サロン2024「元禄文化と阪神地域」序章
江戸開幕から家康・秀忠・家光と三代つづいた「武断政治」全国300諸侯のうち200ほどの藩がとりつぶされ40万人近くの浪人を生んだ。1651年「慶安事件」はそんな時代に起きた反乱である。そんな幕府も5代綱吉の時代には、新田開発による増収による経済発展とともに幕藩体制の安定期を迎え、幕府や諸大名は学問を奨励し「文治政治」へと転換していく、このころ日本の識字率も高まり、貴族や武士の見ならず庶民も文学・文芸にふれる機会が高まるともに美術・工芸においても特色ある文化(時代)を生んだ「元禄文化(時代)」である。
2024第2回学長文学歴史サロン 「鵯越の逆落しはどこか 一ノ谷地名の広狭二義説」
第2回(8月25日)
①レクチャー「鵯越の逆落しはどこか『一ノ谷』地名の広狭二義説」 序章
学長 田辺眞人
寿永三年(1184)2月7日、神戸での源平の決戦で、福原遷都以来この地を熟知し数の上でも優勢だった平家軍が敗退してたのは。義経の鵯越の坂落し作戦の結果だった。この鵯越の位置について従来、論争があった。歴史地理上、鵯越は六甲山地中央部を南北に越え北区山田と兵庫津を結ぶ山越えみちなのだが、「平家物語」は繰り返し「一の谷の後ろなる鵯越」と明記しているからである。坂落しの舞台は兵庫り背山なのか、須磨の背山だったのかという論争である。
田辺眞人著「神戸かいわい歴史を歩く」より
天下分け目の地 阪神地域より
2023オープンキャンパスでの田辺学長による文学歴史サロンの動画です。
『天下分け目の地、阪神地域』 ダイジェストでは、都に向かう「七道」とりわけ「山陽道」の要所となった「天下分け目の地」・・・阪神地域についてお話をします。
文化歴史サロン2「源平合戦と阪神地域」(8/20)
文化歴史サロン3「南北朝と阪神地域」 (8/27) につづく序章です。
源平合戦と阪神地域より ~福原の都と一の谷戦い~
反平氏の動きが強まるなか、1180年6月 平清盛は福原遷都を実行した。
同年 源頼朝 源義仲が挙兵 富士川の戦いに敗れた後
同年11月平安遷都 そして 翌1181年2月 清盛は亡くなった。
1183年源義仲が上洛、平家は都落、西国へ逃れた。
しかし、源氏(源範頼・義経)が源氏(義仲)を討たれるという事態を知り
平家は、西国屋島から神戸に戻り布陣した。
・・・そこへ 源氏(源範頼・義経)軍が向かった 「一の谷の戦い」である。
南北朝時代と阪神間より 建武の新政と南北朝の分裂