てくてくの報告 伊丹市歩きvol.6
日時 : 令和6年11月25日(月)
場所:伊丹市まちあるき
JR伊丹駅より伊丹市内の歴史を訪ね歩く
①鎌倉時代から南北朝時代にかけて300年続いた伊丹氏の伊丹城を戦国時代に荒木村重が総構えの有岡城とした。その跡地に石垣が残っている。
②宮ノ前の猪名野神社は、猪名野坐大神のほか多くの神様が祭られている。猪名野神社は有岡城の総構えの北端に位置し、江戸時代の伊丹郷町の北端でもある。
③伊丹郷町は江戸時代には「清酒発祥の地」として酒造業が栄え、近衛家領の庇護のもと江戸にも出荷された。文人墨客も多く立ち寄り、俳諧文化が花開いた。
④市バスに乗り、昆陽の里の昆陽寺、昆陽池に行く。
奈良時代に仏教布教をしていた行基は、昆陽池など5つの池と昆陽施院を造った。昆陽池には行基が放った片身の魚の子孫が今も生きていると言われている。
⑤昆陽寺から昆陽池への道すがら、車の通行が多く脇道に避難しながらごみを拾って帰った。
・高校時代から伊丹に住んでいたが、伊丹の歴史を気にかけず暮らしてきた。
・伊丹が清酒発祥の地であることや、尼子氏の家臣である山中鹿之助の子孫が鴻池で酒造業を営み、後に鴻池財閥になった話は知っていたが、市の名前にもなっている伊丹氏一族が300年もの長きに渡り、伊丹城を治めていたことは知らなかった。
・もっと地元の歴史を知りたいと思った。気持ちのいい日だった。
・タバコのごみが多い。
てくてくの報告 満願寺vol.5
日時 : 令和6年11月11日(月)
場所 : 満願寺(川西市満願寺町)・最明寺(宝塚市切畑) の滝
スタッフ:3人
10時35分 川西駅阪急バス②系統にて 満願寺下車
すぐに階段参道を登り、山門(仁王像は多田院から移築)をくぐり、金堂にお参りする。家紋は笹竜胆。源満仲が帰依した源氏一門の祈願所となる。
・木造千手観音菩薩立像:観音堂にある本尊(県指定文化財、平安時代後期の作)
・三廟(五輪塔群):藤原仲光、美女丸、幸寿丸の墓(室町時代末期から江戸時代作)
・坂田金時の墓:坂田金時は、源頼光の四天王の一人で実在した人。足柄山で育ち、大江山の酒呑童子やかつらぎ山の土クモ退治をした武勇の誉れ高い武士。
山門から金堂までの長い階段状の参道の両脇の樹木の紅葉がちょうど見頃で素晴らしかった。
正午過ぎから阪急電車で山本へ。
山本から平井山荘を経て山路へ。
岩場、山路を登り朝鮮寺を経て最明寺川の滝へ、帰りの滝道のゴミを拾う。
15時山本駅へ お茶して皆元気に解散。
しんどかったけど、秋の紅葉を満喫しました。
てくてくの報告 越木岩神社vol.4
日時 : 令和6年10月30日(水)
場所 : 越木岩神社(西宮市甑岩町)
スタッフ:3人
越木岩神社を参拝し、歴史ある神社を多くの人に知ってもらい後世に引き継がれるよう情報発信する。
周辺にも目を向けごみ等を収集する。
越木岩神社の概要は次のとおり
① 東六甲山嶺唯一の霊場で天然記念物の森におおわれた神社
② 創始は600年~700年と推定され、一千年前の延喜式神社帳に記載されている大国主西神社であるといわれている。
③ 御神体は周囲約30m高さ10mの大怪岩で、酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ていることから「甑岩」と名づけられたとされ、子授かり安産のご利益があると伝えられている。
・神社周辺は環境も良く、ほとんどごみはなかったが、タバコの吸い殻が気になった。
てくてくの報告 箕面公園vol.3
日時 : 令和6年6月29日(土)
場所 : 箕面大滝道歴史探訪
スタッフ:3人 阪急箕面駅より大滝道沿いの歴史を訪ね歩く
・中の坂の四つ辻の道標と水路分水地が霊界(山)と俗界(里)の境界だった。
・聖天宮西江寺は、平尾村の神社と瀧安寺の僧房のひとつが明治19年の神仏分離令によって寺院聖天宮西江寺となり真言宗に属する。
・本堂には役行者作と伝わる秘仏大聖歓喜天が祀られ、境内には、我国最初の歓喜天出現の地として、役行者と歓喜天の対談石がある。
・瀧安寺(昔の名は箕面寺)は、飛鳥時代の658年に役行者(名は役小角)が創建。山岳信仰修験道の根本道場として、毎年、4.7.11月に護摩法要が行われ、全国から山伏が集まる。
・本尊の弁財天は、日本最古とされ、竹生島、江の島、厳島と並んで四弁財天のひとつ(他説あり)。約400年前に宝くじ発祥の寺として、「箕面の福冨」を発行。当たりは護符としたため現在まで続いている。
・唐人戻り岩、釣鐘淵を経て箕面大滝に到着。落差33m、日本の滝100選のひとつ。多種多様な動植物が生息している。
・滝の名前は農具の「箕」の形 が由来とされており、前日の大雨で、その名の通り「箕」の形が見られた。滝見橋の上に立っていても水しぶきがかかって、マイナスイオンを全身に浴び、本来の大滝の姿に感動した。
・気持ちも足取りも軽く、ごみを拾って帰った。この活動がだんだん楽しくなってきた。
てくてくの報告 古墳vol.2
日時 : 令和6年6月17日(月)
場所 : 宝塚市内古墳巡り 売布・中山寺・中筋山手
スタッフ:3人
① 国指定史跡「中山荘園古墳」
・阪急電車売布神社駅下車、徒歩でライオンズマンション横の階段を登り、7世紀中頃に建造された八角形の中山荘園古墳へ
・当時の天皇陵とも共通する八角形の墳丘で、全体の形が明らかな数少ないものとして、古墳の変化を研究する上で大変重要であり、国の史跡に指定されている。
② 県史跡「白鳥塚古墳」
・徒歩にて巡礼街道を中山寺へ向かい、境内にある白鳥塚古墳へ
・7世紀の初め頃、豪族の墓として作られたとされる横穴式石室の古墳で、石室内には大きな家形棺が残っている。
③ 中筋山手古墳群1号墳
・中山観音から徒歩にて中筋山手古墳群1号墳へ
・6世紀末築造された横穴式石室を持つ直径15m位の円墳で西竹公園内に保存されている。
*古墳を巡る道すがらごみ拾いをした。
・狭い範囲内に古墳が点々とある。
・「塚」がつく土地は都からすれば小高い丘陵地で墓地にふさわしかったと思う。
・教育委員会がきちんと調べて資料も整理されている。
・現地は樹木等が生育しており、手すりもなく歩行に危険を感じた。環境整備が望まれる。
てくてくの報告 高碕記念館vol.1
日時 : 令和6年5月21日(火)
場所 : 高碕記念館(国登録有形文化財、宝塚市雲雀丘)
スタッフ:3人
・阪急電車「花屋敷雲雀丘駅」の改札を出ると瀟洒な家々が立ち並んでいます。7分ぐらい歩くと高碕記念館(旧高碕邸)に到着しました。
・高碕記念館は、1923年、ウイリアム・M・ヴォーリズの設計により建築された腰折れ屋根のコロニアムスタイルです。住宅街には、ヴォーリズ設計の建物が数件点在していましたが、今では高碕記念館だけとなっています。
・斜面を利用した庭園には、豊かな緑や季節の花が咲き、美しい眺望も楽しむことができます。周辺には、有形文化財に指定されている邸宅(非公開)が数軒あり周囲の環境も良く、雑草や落葉まで風情を添えていました。
・高碕記念館は、産業界・政界に多大な功績を残した高碕達之助の住居として使用されました。館内では高碕達之助に関する歴史的資料を鑑賞することができます。
・今回、高碕氏の近代日本の礎となるための功績や、ヴォーリズの活躍も知ることができました。今後、是非、後世に伝えるべく努力したいと思いました。