令和8年度第1回学長文学歴史サロン
学長文学歴史サロン
8月29日(土)13:30~15:30
今年も阪神シニアカレッジ・田辺眞人学長が文学、歴史を語る公開講座「学長文学歴史サロン」を開催しました。
第1回目の学長文学歴史サロンは、田辺学長の講演「阪神間、秀吉・秀長時代の城塞~阪急神戸線かいわい~」とともに、ゲストに講談師の旭堂一海さんをお迎えして、講談太閤記から「賤ケ岳合戦」をご講釈いただきました、
●田辺眞人学長による講演 「阪神間、秀吉・秀長時代の城塞~阪急神戸線かいわい~」
阪急電鉄の沿線には、戦国末期の城跡が点在します。三宮駅北方の滝山城は松永久秀や三好長慶ゆかりの山城です。芦屋駅の北にある鷹屋城や夙川駅の東にある越水城は西宮の瓦林政頼が西摂に築いた城で足利将軍も訪ねました、塚口駅北方の塚口城には、信長の息子や高山右近も一時、在城。線路の北にあるこのような城塞について考えてみましょう。(田辺眞人)
●講談 太閤記から「賤ケ岳合戦」
賤ケ岳の合戦は1583年に羽柴秀吉と柴田勝家の間で行われ、秀吉の勝利が織田家の権力を継承する重要な戦いとなりました。
賤ケ岳の合戦は、天正11年(1583年)4月に近江国の賤ケ岳付近で発生しました。この戦いは、織田信長の死後、織田家の後継者を巡る権力争いの一環として位置づけられます。信長の死後、羽柴秀吉は信長の旧臣の中で最も力を持つ存在となり、柴田勝家と対立しました。清須会議では、信長の後継者として三法師(後の織田秀信)が選ばれましたが、勝家と秀吉の間には緊張が高まりました。
賤ケ岳の合戦では、秀吉が指揮する軍と勝家の軍が激突しました。秀吉は、前田利家や他の武将の協力を得て、勝家の軍を包囲しました。戦の結果、勝家は敗北し、北庄城に逃げることとなりました。秀吉の勝利は、彼が織田家の権力を継承するための重要なステップとなり、後の天下統一への道を開くことになりました。
~賤ケ岳の七本槍~
この戦いで特に有名なのは「賤ケ岳の七本槍」と呼ばれる武将たちです。彼らは秀吉の軍の中で活躍し、戦の勝利に貢献しました。七本槍は、加藤清正や福島正則など、後に名を馳せる武将たちで構成されており、秀吉の軍の士気を高める役割を果たしました。
●対談 田辺眞人 × 旭堂一海
アクセス OC&学長文学歴史サロンR8.8 リーフレット

【摂津滝山城】